内容も発行日も定まっていない雑誌(仮称) 〜2003年 7月 8日号〜
「ハンマー投げで室伏広治選手が84m86の大記録!」
室伏広治選手がアテネオリンピックの陸上競技男子ハンマー投げで金メダルを獲得しました(2004年 8月30日)
※当ページは2003年7月8日に掲載し、その後2004年8月30日までに何度か更新いたしました文書です。 その後は文書の更新をいたしておりませんので、室伏広治選手の持つ日本記録(=アジア記録)が世界歴代3位で現役選手の世界最高記録であることなど、掲載しております内容には一部古い情報が含まれております。 その後、イワン・ティホン選手(「イワン・チホン」とも発音/ベラルーシ共和国)が世界記録に1cm差の86m73を記録するなど情勢は変化しております。 予めご了承ください。

陸上競技・男子ハンマー投げの室伏広治選手が、2003年6月29日、チェコで開催された国際グランプリIIプラハ大会で、84m86の驚異的な日本新記録をマークし優勝しました。 これは、室伏広治選手自身が持つ従来の日本記録(=アジア記録)を1m37更新するもので、世界歴代3位、現役選手としては世界最高の素晴らしい記録です。 世界記録はユーリー・セディフ選手(旧ソ連)の86m74、歴代2位はセルゲイ・リトビノフ選手(旧ソ連)の86m04、いずれも1986年にマークした古い記録で、84mを超える記録が出たのは1992年以来11年ぶりのことです。


〜 ハンマー投げ 〜

室伏広治選手の活躍により、“ハンマー投げ”のことも多少は知られるようになってきましたが、ご存知ないかたもいらっしゃると思いますので、簡単に説明しましょう。

ハンマー投げは、陸上競技のうち、投げたものの飛距離を競う投擲(とうてき)競技に分類される種目のひとつです。 力の強さも重要な要素ですが、同時に高度な技術が要求されます。 選手の平均年齢が高いのは、そのためです。 各選手は順番に1回ずつ、6回投げ、そのうちの最長記録で順位を決めます。 選手が9人以上いる場合には、3回投げ終わった時点での上位8人がさらに3回投げます(上位8人までに入れないと4回目以降は投げられません)。

投げるのはハンマーと呼ばれるもので、両手で持つためのハンドル(取っ手)、金属製の頭部(球)、それらを結ぶ長さ1.175〜1.215mのワイヤ(接続線)の3つから成り立っています。 頭部は、男子用で重さが7.26kg以上、大きさが直径で110〜130mmと決められています。 ボウリングをされるかたなら、一度ボウリング場で、一番重い16ポンド(=7.26kg)のボールを持ってみてください、その重さが実感できるでしょう。

ハンマーのイメージCG

ハンマーは、直径2.135mのサークルと呼ばれる円の中から投げます。 投げ方は、サークルから身体が出なければ基本的には自由ですが、自分が回転(ターン)することによってハンマーを加速させ放り投げるのが普通です。 また、投げる方向が決められていて、記録として認められるのは、サークルの中心を頂点にした34.92度(2002年以前は40度)の範囲だけです。

理論上、投げる瞬間のハンマーが速ければ速いほど遠くへ飛びます。 80m以上の記録を出すには、投げる瞬間、ハンマー頭部の速度が秒速29m(時速104.4km)を超える必要があり、世界記録の86m74は秒速30.7m(時速110.52km)でした。 選手は回転するごとに自分自身とハンマーの速度を徐々に上げていきます。 世界記録は身体を3回転させて投げる方法でつくられたものですが、現在では効率よくハンマーを加速させるために4回転が主流になっています。 ちなみに、世界トップレベルの選手は、2.5秒前後で4回転し、最後の回転は0.4秒ほどしかかかりません。 ハンマー頭部の速度を上げるということは、遠心力(遠ざかろうとする力)との闘いでもあります。 80mを超える投擲では、投げる瞬間400kg重以上の強大な遠心力が選手に働きます。 この力に耐えるということは、ぶら下がっている大相撲の武蔵丸関(235kg)と格闘家のボブ・サップ選手(170kg)が落ちないよう支える(この場合405kg重)のと同じようなものなのです。


〜 室伏広治選手 〜

室伏広治(むろふし こうじ)選手(以下「広治選手」)は、1974年10月8日静岡県沼津市生まれ。 お父さんの重信さんは広治選手に破られるまで男子ハンマー投げの日本記録保持者、お母さんのセラフィナ(「サラフィナ」とも発音)さんはルーマニア代表のやり投げ選手、まさに投擲選手のDNAを持って生まれてきたと言えるでしょう。 ちなみに、妹の室伏由佳選手は女子円盤投げの日本記録保持者(女子ハンマー投げでは日本歴代2位の記録保持者※現在は日本記録保持者、下記の追記参照)です。

私が初めて広治選手をテレビで見た時、その頃の彼は、まだ少年の面影を残していて身体も細く、秘められた潜在能力は感じるものの、技術的にも肉体的にも精神的にも荒削りな印象でした。 しかし、広治選手は年を経るごとに着実に成長していきました。

男子やり投げの日本記録保持者、溝口和洋さんとの出会いが、広治選手のトレーニングに影響を与えたそうです。 溝口選手といえば、オリンピック(確か1984年のロサンゼルスでした)での惨敗をきっかけに、その後、まるで別人のように身体を鍛え上げてきたことが、私には強く印象に残っています。 質・量ともにハイレベルな溝口さんのトレーニングが、限界を勝手に設けている自分自身を広治選手に気付かせました。 その結果、広治選手のトレーニングもハイレベルなものになり、細かった身体も現在の187cm・97kgという体格になったのです。

一般人から見れば立派な体格の広治選手ですが、110kgを超える選手が当たり前のようにいるハンマー投げの世界では、軽量な部類に入ります。 ハンマーを遠くへ投げるには、強大な遠心力に耐える必要があり、体重は重いほうが有利だと言われています。 しかし、広治選手は、体脂肪で無理やり体重を増やすようなことはせず(体脂肪率はわずか3%だそうです)、スピードと瞬発力と技術によって補っているのです。

広治選手は天性の運動能力と鍛え上げられた身体で、ずば抜けたスピードと瞬発力を発揮します。 100mを10秒台で走り、立ち幅跳びでは3m60を超えるのです。 その片鱗(へんりん)は本業のハンマー投げ以外でも見せてくれました。 テレビ番組の「スポーツマンNo.1決定戦」では、その圧倒的なパワーとスピードで他を寄せ付けずに優勝しました。 また、プロ野球の始球式では、野球の経験がないとは思えない投球で、時速123km(※後に時速129km)をマークしました。

そして、コーチでもある重信さん直伝の、回転をしながら絶妙のタイミングで体を後ろへ傾ける「倒れこみ」という非常に高度な技術。 タイミングが少しでも狂えば、逆にハンマーの速度が落ち、場合によってはバランスを崩して転倒する可能性もある技です。 この、あまりにも高度過ぎて、他の誰も、完全には理解できないような、そして決して真似することができないような技術を、広治選手はその研ぎ済まれされた運動神経で体得し、現在も日々それを進化させているのです。

期待されていた2000年のシドニーオリンピックでは、滑るサークルの影響か、76m60の記録で9位という不本意な結果に終わりました。 しかし、その悔しさが、広治選手を肉体的にも技術的にも、そしてなによりも精神的に成長させたような気がします。 2001年カナダのエドモントンで開かれた世界選手権では、ハイレベルな戦いの中、82m92を記録し銀メダルを獲得しました。 そして今季(2003年)は、当たり前のように80mを超え、7割を超える率でオリンピックや世界選手権のメダル圏内にあたる81m以上、4割を超える率で82m以上をマークするなど、抜群の安定感を誇っているのです。

今回のプラハは、滑りやすいサークルでしたが、シドニーオリンピックの時とは全く違いました。 いろいろなサークルへの対応能力、ハイレベルな戦いを再々逆転で制する勝負強さ、ハンマーをスムーズに加速させる高度な技術と美しいフォーム、鍛え上げられた身体、研ぎ澄まされた運動神経、スピード、瞬発力、精神力…。 雄叫(おたけ)びとともに放たれたハンマーは、「83mは、いったかな」という本人の手応え以上に大きな放物線を描きました。 心技体の充実ぶりが、84m86という記録を生み出したのでしょう。 満足の行く素晴らしい投擲に、広治選手自身も、今まで見たことがないような笑顔で飛び跳ね、全身で喜びを表現していました。

最近の素晴らしい投擲や、インタビューでの受け答えなど、日本の陸上競技を引っ張っていこうという思い、自覚、そして風格すら感じさせます。 「“鉄人”室伏重信選手の息子」というイメージは、既に過去のものとなりました。 今や室伏広治選手は、世界の頂点に立つような素晴らしい選手になったのです。


〜 陸上競技を盛り上げましょう! 〜

2003年8月23日からは、陸上競技の世界選手権(世界陸上競技選手権大会)がパリで開かれます。 2004年には、アテネでオリンピックが開かれます。ほかのスポーツも良いですが、是非陸上競技にも目を向けてください。 室伏広治選手以外にも、素晴らしい選手がたくさん出場しますよ。


〜 追記(2004年7月24日) 〜

2003年8月、フランスのパリで、第9回世界陸上競技選手権大会が開催されました。 男子ハンマー投げの室伏広治選手は、大会の一週間前、練習中に転倒し右ひじなどを負傷。 出場すら危ぶまれていましたが、80m12の記録で、見事銅メダルを獲得しました。 また、この大会では、末續慎吾選手が男子200mで銅メダルを獲得。 日本陸上競技界の歴史に残る、短距離種目初のメダル獲得でした。 (メダルを獲得した)室伏広治選手と末續慎吾選手は、この時点でアテネオリンピックの日本代表に選ばれました。

2004年6月19日、室伏由佳選手は女子ハンマー投げで66m68の日本新記録をマークしました。 7月12日には、日本陸上競技連盟がアテネオリンピック日本代表の追加選手を発表。 室伏由佳選手が女子ハンマー投げの代表に選ばれました。 室伏広治選手と由佳選手は、兄妹でオリンピックに出場することになったのです。

2004年8月13日から、ギリシャのアテネで第28回オリンピック競技大会が開催されます。 室伏広治選手が出場する男子ハンマー投げは、予選が8月20日15:15〜16:15(現地時間8月20日09:15〜10:15)と16:45〜17:45(現地時間10:45〜11:45)、決勝が8月23日03:15〜04:45(現地時間8月22日21:15〜22:45)に行われる予定です(2004年7月29日現在)


みんなで、室伏広治選手を応援しましょう!
そして、金メダルを獲得する瞬間を見ましょう!!

室伏広治選手、アテネオリンピックの陸上競技男子ハンマー投げでメダル!!


〜 関連リンク 〜

日本陸上競技連盟





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